
2009年05月13日
Heiseiシム
※ 注意 此処は既に閉幕しました。 ※
TokugawaSimの西に隣接、Meiji Simから見て南西に位置したシムです。
シム・オープン当時はHeiseiというシムの名前の由来、昭和と平成の移り変りなどを案内するノートカードをTP着地点で配布。
シム内も昭和の終わりと平成の始まり頃をイメージさせるような、新しいような古いような独特の雰囲気を持つ現代日本的建物が並ぶ、名は体を現すなシムとなっていました。
当時、HeiseiシムにあったAsian Moonの御店の様子。
シム内にある建物は全て下写真のような現代的な建物で統一されていました。

トレジャーハント・イベントなど、C:SIプレイヤー以外も楽しめるようなイベントが企画されていましたが、MeijiシムとTokugawaシムの一時閉鎖に連動する形で両シムの特性(ショッピングモールと試合場)を併せ持つシムへと変わりました。
シム北部に試合場。


シム中央から南部にかけてX&M本店。

X&M本店上空に同店作の道場がモデルハウス兼試合場として浮いていました。


ショッピングモールを擁する事もあってシム負荷が高かった為か、ラグを嫌がって此処には来なかった人達もいましたが、Meijiシムで活動していた多くの人達がそのまま"移住"。単純な試合場としてだけではなく、情報交換や雑談の場としても機能していました。
X&Mの建物をモデルハウスとして公開する為に面積を必要とし、最初は八コートあった試合場も半分に短縮。

その少し後、Meijiシム再開とX&M用シムとしてAyokubouシムの建設が決まり、同シムの閉鎖が決定。
どんどん片付けられていくシム内の様子。


最後に残されたのはX&M本店だけに……


「Mas、あなたはこのシムの名をC:SIの歴史に残した。ありがとう」
この言葉はHeiseiシムが閉じられる直前、Mitiaさん&Xenaさん夫妻との会話の中で貰った言葉です。
それを目指して行動したわけでも、まして、誰かに頼まれたわけでもなく、私は普通にC:SIをプレイして他の人達と交流を行っていただけでしたが、それでも、アバターがインワールドで"生きる"という行為は確実に歴史を作るという事をあらためて実感する事になりました。
シム名を歴史に残した?の意味は至極単純な事で、行われた試合数などの記録で上位に入っているという事でした。そして、私がHeiseiシムで相当数の試合を重ねた事が影響をしている~と。
建設中だったシムに招待をして貰え、建築の過程を見れたのは貴重な経験でした。
私が初めて正式にオフィサータグを貰ったのは、前期シムの頃の此処のAsian Moonででした。
去年の八月末週、Monoが正式に導入されて各シムに順次適用されていきました。但し、スクリプトの一部関数の動作に変更があった為、C:SI刀剣が正常に機能しなくなる(防御が出来なくなる)トラブルが発生。
上記の件で、C:SIプレイを一旦止めるべきかな……と迷っていた時、此処でβテストに参加中のある人と会って大根フォージの人達に紹介をしてもらい、Mono対応版βTaketoriを受け取って、始めてC:SIのβテストに参加させてもらう事になりました。
ドラゴンクロークラン代表のDanielさんと会って Dragon Claw Island のLMを貰い、トーナメントの話を教えてもらったのも此処でした。
クランを去られたRaynoさんと再会したのも此処でした。
私にとって此処は、Meijiに次ぐくらいの色々な思い出がある地(シム)でした。
TokugawaSimの西に隣接、Meiji Simから見て南西に位置したシムです。
シム・オープン当時はHeiseiというシムの名前の由来、昭和と平成の移り変りなどを案内するノートカードをTP着地点で配布。
シム内も昭和の終わりと平成の始まり頃をイメージさせるような、新しいような古いような独特の雰囲気を持つ現代日本的建物が並ぶ、名は体を現すなシムとなっていました。
当時、HeiseiシムにあったAsian Moonの御店の様子。
シム内にある建物は全て下写真のような現代的な建物で統一されていました。
トレジャーハント・イベントなど、C:SIプレイヤー以外も楽しめるようなイベントが企画されていましたが、MeijiシムとTokugawaシムの一時閉鎖に連動する形で両シムの特性(ショッピングモールと試合場)を併せ持つシムへと変わりました。
シム北部に試合場。


シム中央から南部にかけてX&M本店。

X&M本店上空に同店作の道場がモデルハウス兼試合場として浮いていました。


ショッピングモールを擁する事もあってシム負荷が高かった為か、ラグを嫌がって此処には来なかった人達もいましたが、Meijiシムで活動していた多くの人達がそのまま"移住"。単純な試合場としてだけではなく、情報交換や雑談の場としても機能していました。
X&Mの建物をモデルハウスとして公開する為に面積を必要とし、最初は八コートあった試合場も半分に短縮。

その少し後、Meijiシム再開とX&M用シムとしてAyokubouシムの建設が決まり、同シムの閉鎖が決定。
どんどん片付けられていくシム内の様子。


最後に残されたのはX&M本店だけに……


「Mas、あなたはこのシムの名をC:SIの歴史に残した。ありがとう」
この言葉はHeiseiシムが閉じられる直前、Mitiaさん&Xenaさん夫妻との会話の中で貰った言葉です。
それを目指して行動したわけでも、まして、誰かに頼まれたわけでもなく、私は普通にC:SIをプレイして他の人達と交流を行っていただけでしたが、それでも、アバターがインワールドで"生きる"という行為は確実に歴史を作るという事をあらためて実感する事になりました。
シム名を歴史に残した?の意味は至極単純な事で、行われた試合数などの記録で上位に入っているという事でした。そして、私がHeiseiシムで相当数の試合を重ねた事が影響をしている~と。
建設中だったシムに招待をして貰え、建築の過程を見れたのは貴重な経験でした。
私が初めて正式にオフィサータグを貰ったのは、前期シムの頃の此処のAsian Moonででした。
去年の八月末週、Monoが正式に導入されて各シムに順次適用されていきました。但し、スクリプトの一部関数の動作に変更があった為、C:SI刀剣が正常に機能しなくなる(防御が出来なくなる)トラブルが発生。
上記の件で、C:SIプレイを一旦止めるべきかな……と迷っていた時、此処でβテストに参加中のある人と会って大根フォージの人達に紹介をしてもらい、Mono対応版βTaketoriを受け取って、始めてC:SIのβテストに参加させてもらう事になりました。
ドラゴンクロークラン代表のDanielさんと会って Dragon Claw Island のLMを貰い、トーナメントの話を教えてもらったのも此処でした。
クランを去られたRaynoさんと再会したのも此処でした。
私にとって此処は、Meijiに次ぐくらいの色々な思い出がある地(シム)でした。